愛逢の家

2024.03.01

とも暮らしの家

愛逢の家は兵庫県尼崎市東園田にあります。宅地の中、細い路地を入ったところに2階建ての民家「愛逢の家」があります。玄関の扉を開けると「おかえりなさい」と西山さんが笑顔で迎えてくれました。早速住人の皆さん、スタッフ、ご家族にご挨拶。

お話をうかがった場所は、リビングというよりはダイニングキッチン、あまり広くない分、スタッフは料理をしながら振り向いて会話にはいることができます。 リビングの奥はカーテンで仕切った一部屋になっており、今年数え歳で108歳になるキミエさんが寝ておられます。先日、2階から移って来られたそうで、賑やかなことが好きなキミエさんは、常にスタッフの目が届き、人声やテレビの音がして、お料理の匂いが漂ってくるそこが落ち着くようです。 訪ねてみえた姪の紀代子さんのお話しをうかがいました。キミエさんはもちろん愛逢の家の最長老であり、家ができた時からの住人です。入居した時がすでに98歳。91歳の時、九州から姪の紀代子さんがいる尼崎に越してきて、すぐ近くのアパートに一人で住んでおられたのですが、認知症が進んできました。紀代子さんが前管理者の兼行さんの知り合いだったことから愛逢の家を開く前から入居を決め、キミエさんも「まだか、まだか」と待っておられたそうです。  紀代子さんはキミエさんとは親子のような間柄で、24歳の時に結婚して尼崎に来られるまでいろいろと世話になり、結婚後も九州のキミエさんの家に里帰りしていたそうです。9年前にキミエさんが愛逢の家に入居してからは、しょっちゅう訪ねて、ここでおしゃべりをしたり、一緒に食事をしたり、スタッフや他の住人やそのご家族ともご近所付き合いのような間柄、「ここが実家のようなもの」と言います。

たしかに愛逢の家は、住人のご家族の出入りが多いようです。一つには、住人やご家族がそばを流れる藻川を隔てて小中島や瓦宮など周辺の地域におられることもあるのでしょう。入居判定をする時も、同じ条件であれば周辺地域の人が入居するのが望ましいと考えているそうです。ご家族や友人に親しんでもらいたい、また、行政関係や病医院をはじめとしたさまざまな社会資源を共有できているところがいいと言います。

その日のスタッフ香西英子さんが夕飯の準備をしながら話の輪に加わって、陽子さんに味見を頼んだり、梅干しを漬けるときはウメの実のヘタをもいでもらったり(「私よりよっぽど手際がいいんです」と香西さん)、時間がないときは洗濯物をたたんでもらったり(「仕方ないな、ベッドの上に置いとき」と陽子さん)と、「いろいろ手伝ってもらって助かってます」と言います。耳が遠い陽子さんは、「悪口言われててもわからへん」と仲間に入り、笑いの輪が広がり一層和やかな雰囲気です。長谷川達雄さんは理事長を辞めて、今は住人の家族の立場。

家族の立場からみてホームホスピスってどうですか?

長谷川:ことさらに“ホームホスピスのどこがいい”と言うには知りすぎているけど、やっぱり人、「人と人のつながり」が施設とは違う。一人一人の個性が出せるところもいいかな。こんなん(陽子さん)が、チーチーパッパ一緒にせいと言われたら、かなわんやろしな。美味しいもん食べて、毎日しゃべって笑う生活ができたらそれがいちばん。

愛逢の家にはそれが豊富にあります。

追記:キミエさんは紀代子さん・愛逢スタッフに見守られ、安らかに天国に旅立たれました。2019年3月7日木曜日 23時10分永眠


「もう実家です」

愛逢の家は現在スタッフ11人、基本は日中2人、夜間1人の体制です。 スタッフをはじめ、家の中をまとめているのが大森視也子さん、現場の責任者のような立場です。兼行さんに見込まれて愛逢の家の開設当初から勤め、兼行さんとともに愛逢の家をつくってきました。大森さん自身もこの10年の間におばあちゃんになって、この日は非番の日でしたが1歳になったお孫さんをおぶって来てくれました。キミエさんに赤ちゃんの顔をみせると、寝たきりのキミエさんも「バア」と大きな声を出してあやし、喜んでくれます。「大森さんにとって愛逢の家は?」と尋ねると、すぐさま「もう実家です」と答えが返ってきました。家にいても、愛逢の家の住人のことが気になって仕方がないといいます。去年はご自身のお父さんを自宅で看取られたそうですが、そんな最中にも愛逢の家の住人が気になっていたそうです。 キミエさんとは当初からのお付き合いです。98歳のキミエさんが入居してからこの10年、ゆっくりと老いの坂道を下っていくキミエさんの横を歩いてきた大森さんは、もう身内の感覚です。「10年経って私も還暦を超えて、ぼちぼち燃え尽き症候群かなと思っていたけれど、今、一からやり直しかなって。もう一回細かくケアを見直そうと思って」107歳のキミエさんを見ていて、「お歳やし、その時がくるまで自然に今のままで」と思っていたけれど、「まだまだすることがある」とキミエさんのケアのあり方も見直すかまえです。 愛逢の家の普通の暮らしを守る、日常を守るのが自分の仕事という大森さんは、細やかな配慮をすみずみまで行き渡らせるこの家のお母さんのような存在です。


手ェ抜かんと美味しい食事

取材の間も時々、リビングを出たり入ったりしながら家事をこなしているのは香西英子さん、この日の日勤です。香西さんは愛逢の家に来だして4年になります。 愛逢の家は「ここの最大の特長は、お料理にあるのかも・・・」と言えるほど、毎日の食卓が豊かです。食材はもちろん色どりもみるからに美味しそうなお皿や小鉢が並ぶ食卓。言うまでもなく、住人にとって食事は最大の楽しみ。「あと何日、何回食べられるかわからへんのやから、毎回の食事に手ェ抜かんと美味しいもんを出す」というのは、兼行さんが管理者をしていたときからつづく心意気です。西山さんに尋ねると「エンゲル係数はたしかに高い」そうです。住人が高齢化するに従って全体の分量は減ってきましたが、品数があれば手間は同じです。差し入れが多い愛逢の家では、それも上手に使ってメニューに加えます。 料理は美味しいだけではなく、それぞれの状態に合わせることも必要です。お年寄りに多い便秘と下痢の対処はもちろん、消化器系にがんを患う住人にはその障りにならないようにと個別に細かな対応が求められます。西山さんと香西さんはコンチネンス(排泄)のセミナーに参加して排泄のケアにも心を配っています。 そういえば、西山さんも月2回のルーティンで男の料理を披露するそうですが、「見て盗み、食べて盗み」しながらただいま、修行中です。

愛逢の家に午後の数時間お邪魔して住人の方と会い、ここに関わる家族やスタッフ、ボランティアの方と出会いお話をきくうちに、「とも暮らし」という言葉がいちばん馴染みそうな気がしてきました。「実家です」というスタッフや家族、みんなの生活の一部であり、そこにいるだけで互いの温もりを分かち合う家、それらが温かな余韻として残りました。