ホームホスピス セ・ラ・ヴィ!

2024.03.06

文京区の閑静な住宅地の一角に穏やかに佇む<ホームホスピス セ・ラ・ヴィ!>。この施設を運営するNPO法人幸せのとんぼ理事長の市川雅美さんと、訪問看護ステーションけせらの看護師でセラヴィ相談員の関根明子さんにお話を伺いました。「ここはただ単に死を迎えるために入るところではなく、その人らしく最期まで地域で生きていくための“家”なんです」と、市川さんは話します。入居者ひとりひとりの人生を受容して、これまで行ってきた大事なことを共有し、生活者としてともに暮らすこの“家”は、自分らしく生きていることを実感する空間であるとのこと。働き手も“とも暮らし”をする住人として自分らしく生きていると実感できる、ホームホスピスの日常についてお伺いしました。

お話を伺ったスタッフの方々

NPO法人幸せのとんぼ理事長市川雅美さん

訪問看護ステーションけせらの看護師/セラヴィ相談員関根明子さん

“家”だから、本人や家族の立場に今まで以上に寄り添える

この施設を立ち上げた経緯を教えてください。

NPO法人幸せのとんぼ理事長 市川雅美さん

市川:わたしと関根が所属する株式会社けせらは、訪問看護、訪問介護、定期巡回、居宅介護支援(ケアマネージャー)の4つの事業所を運営しています。社長は以前からずっと「地域に求められる事業をやりたい!」と考えており、そのひとつがホームホスピス事業でした。この思いに賛同したスタッフが2017年にNPO法人幸せのとんぼを立ち上げ、ホームホスピスの始動は2021年です。訪問看護の移動中にこの物件を見つけた社長は、すぐ不動産屋さんに声をかけました。丁寧に管理されていたこの家を見て「ホームホスピスしかない!」と思ったそうです。

在宅ホスピス実践リーダー養成研修を6ヶ月受講してきたかつてのスタッフは、「ホームホスピスは、いいですよ」と伝えてくれました。その彼女は寿退職をしたのですが、彼女の思いを受け継ぎ、セラヴィの屋台骨となったのが関根です。

関根さんがホームホスピスで働き始めた動機を教えてください。

訪問看護ステーションけせらの看護師/セラヴィ相談員 関根明子さん

関根:これまで訪問看護の仕事に就く中で、終末期の方の思いをしっかり汲み取ってケアや対話ができているのか?と日々悩むことがあり、もっと学びたいと思っていました。訪問だと瞬間瞬間しか立ちあえませんし、自分の中に勝手な遠慮もあって一歩踏み出すことができず、本質的なところがみえていたのか?と悩むこともありました。このホームホスピスで働くようになり、今まで以上に本人や家族の思いを知ることができていると感じました。ここは“家”なので、本人の思っていることを、ともに生活していく自然の流れの中で汲むことができると実感します。

ともに暮らすホームホスピスの日常は、どんな体制で支えているのでしょうか?

市川:関根が常勤でメインを張り、けせらの職員とパートさん、看護学生のアルバイトを含め8人程度で回しています。社長が夜勤に入ることもあります。料理や掃除も専門の業者を入れたりせず全てスタッフがしますので、普通に自分の家として生活しているスタイルです。


一緒に過ごす時間が長いから、築かれていく関係がある

ともに暮らすことでどんな関係が生まれるのでしょうか?

市川:最初の入居者は70代の男性でした。彼は古い家に一人暮らしで、一人でいることと、病気の進行に不安を持っていました。今後の生活をどうしていこうかと考え始めた時、真夏にエアコンが壊れたのをきっかけに、担当ケアマネージャーの紹介でセラヴィに入居されました。彼は競馬が大好きで、関根さんもわたしも教えていただいてね。一緒に菊花賞の馬券を購入したら、関根さんの分が当たっちゃって(笑)。スマホで当選情報を見ながらニヤニヤし、「あとで払うよ」とユーモラスに話した時の表情は忘れられません。

関根:彼に「わたし当たっているのね?そしたらそのお金は返してね」なんて言えている自分に驚きました。その話を家族にしたところ、笑いながら「わたしもそういうの好き」と言ってくださいました。訪問看護師として訪問していた以前のわたしだったら、競馬を教えてもらって一緒に買って、テレビを見て応援する仲には到底なれなかったと思います。

市川:競馬は彼の生活の楽しみとして、欠かせないもののひとつでした。亡くなる数日前まで赤ペン片手に競馬新聞とにらめっこをしていましたから。彼を知る人はきっと「らしいなあ」と思うのではないでしょうか。そんな時間を共有できたのは、ホームホスピスならではと思います。

関根:過ごす時間が長いから築かれていく関係が、心地いいんですよね。ここに今座っているみちこさんは、わたしによく「あなたは嫌よ」「あなたはワーストワンよ」と言うんです。だからわたしもこのお庭で育てた朝採れのナスをみちこさんの目の前に置いて「お昼はナスね」と言い、二人でワッハッハーと笑います。でも機嫌が悪いと怒られます(笑)。

入居者の家族との関係はいかがでしょうか?

関根:家族の思いも大事にしなければと切実に感じます。そうして家族と親しくなると、ご自身の体調や家族のこと、今まで歩んできた家族の歴史などを話してくださるようになったりと打ち解けてくださいます。ルールありきではなく、家族がやりたいと思うことを悔いなくできるよう一緒に考えて、なるべく実現できるような形をつくります。

市川:お風呂に入れたい、という家族がいたら「どうぞどうぞ!」と後押ししますし、夜間は防犯上連絡を取り合いますが、それ以外は好きな時に会いに来てもらえるようにしています。特にコロナ禍では、ひとたび病院に入院すると面会禁止になっていましたが、ここでは制限は設けませんでした。“家”に来るな、というのはおかしな話ですからね。だからといって好き勝手することはなく、みなさん節度は守って下さいます。


食べることを取り戻すことは、生きる力を取り戻すこと?

“家”で暮らすことで、入居者にはどんな変化が起こるのでしょうか?

市川:脳梗塞後、延命措置はしないという本人の意向のもと、経管栄養を外して退院し、終末期ということでセラヴィにご入居された方がいらっしゃいました。無理強いせず自然に任せて欲するがままに、と最初はスプーン一杯の水を口に運びました。ある時食堂に移動し、他の入居者が食事をしているのを見て「わたしも食べていいの?」とはっきりとおっしゃったんです。その日からペースト状、とろみ食と、食べる量も徐々に増えていきました。おかゆにカレーをかけてお出しした時は「おかゆにカレーはないでしょう・・」と。想像すると確かに美味しそうではないですよね(笑)。そして今では、普通のご飯を自分で食べています。他の入居者が食事をしているのを見て影響されたのは、まさにホームホスピスの持つ“とも暮らし”の力だと思います。ご家族も驚かれていました。

関根:食べたいと思う時に食べると、生きる力がみなぎるのが伝わるんです。“食べられる”を決めるのは本人自身だと感じる場面に立ち会わせていただく時もあります。

市川:多くの病気で入院が続き、一年近く口からは食べていなかった方がいました。退院後はセラヴィにご入居「どんなふうに生活したいですか?」と伺ったところ「なにか食べたい!」と。もともとご自宅で生活している時から関わっていたのですが、味覚障害があり食べることには興味を示さない方でしたので、「食べたい」の一言にはとても驚きました。すぐにとはいきませんでしたが、主治医の先生と相談をしながら少しずつ始めて、最終的には口から少し食べられるようになったんです。

関根:ネギトロのようなまぐろを食べていましたが、そのうち「切り身がいい」と。とはいってもデリケートな状況はずっと続いていました。熱を出しやすくて、痰も絡みやすくて、大変なことを乗り越えながらでしたけれどね。

市川:食に関するエピソードはいろいろありましたね。「食べることを取り戻すことは、生きる力を取り戻すこと」というほど単純な話だとわたしは思いません。関根の言ったように“食べられる”を決めるのは本人自身なんです。「食べたい」「食べられる」と表現できない方もいらっしゃいますが、それは意欲がないとか、よくないということではありません。旅立ちが近づいてくると、自然に身体が「食べられない」と表現してくるのだな、と感じる場面があります。自身のことを表現できない入居者さんの娘さんは、部屋じゅうに写真を飾ってその方が生きてきた証を表現されていました。ご家族の精一杯の思いが伝わるお看取りに関われたのもホームホスピスならではと感じています。


スタッフや入居者の枠を越えた関係が生まれる“とも暮らし”

訪問看護に関わってきた人たちが、ネクストステージとしてホームホスピスに関わるというのはとてもいい流れですね。

市川:そうですね。“生ききる”ということに通じてくることだと思います。亡くなる手前まで自分らしく暮らせる環境づくりに関われるのは、スタッフとしても幸せです。

関根:家族からもまわりからも「ちょっと変わった人」と言われていた80代の女性がいましたが、その方が変わっているかどうかは、わたしたちには関係ないんです。彼女は一人暮らしが長く、ここに来る時に気持ちの整理をつけてきたんだと分かりました。自分の病気を受け入れて、家族には迷惑をかけたくない、ここに来たらここに合わせるとおっしゃっていて、それがとても潔く感じました。亡くなるまで彼女が貫いてきた強さ、生き様を感じながら一緒に過ごせたことは、わたしにとっても大事な思い出のひとつです。

市川:その人が大事にしてきたことを、こっちの枠にはめないで、寄り添って大事にするだけです。そしてそれはスタッフだけの役割ではありません。先日は、入居者のひとりが、前の人がこぼしたのを見て立ち上がり「大丈夫?わたしが食べさせてあげようか?」と拭いてあげると、相手も「ゆっくり食べるからいいわ」と押し戻していましたね。このやりとりがお互いの尊厳を覚醒させるのかな、と思います。食べ方がおぼつかない人に冷ややかな態度を示していた人が少しずつ優しい眼差しに変化したり、「やだ汚い」「あなたもそのうちそうなるわよ」といったやりとりがあったり(笑)。お互いが自由に関わって影響しあう“とも暮らし”は面白いですよ。関根も “とも暮らし”のひとりです。

病院のような施設ではなかなか起こらないこと、感じないことがホームホスピスには溢れているのですね。

関根:生活の場ですからね。ホームホスピスのいいところの一つに、音が聞こえる、ということがあります。スズメの鳴き声、食事をつくる音、洗濯の音、お風呂に入る音、階段を上がる音、談笑の声など。日常生活の音そのものが、生きている音なんだと実感します。時々“ガタッ”と音がするとドキッとして階段を駆け上がります。入居者の方が「なんか音がしたわよ」と教えてくれることもあり、「あなた、バタバタと忙しいわね。大変ね」と冗談や労いの言葉もかけられます。また、匂いも刺激になりますよね。食堂でコーヒーを淹れていたらある方が「いい匂い」と言っていたのを聞いて、娘さんが来た時に部屋にコーヒーメーカーを持っていき、みんなでコーヒーを飲み、本人はコーヒーの匂いを嗅ぎつつコーヒーゼリーを食べました。いい時間でしたね。

音と、匂い。家庭での暮らしと同じ空気が流れていると、安らぎますね。

関根:その方は、最期にうなぎを食べていました。ペースト状の柔らかいもので、味も見た目もうなぎそのものです。とても嬉しそうで、こちらもほっとして嬉しくなり自然に微笑んでしまいました。

市川:関根は、訪問看護をしていた時は非常に厳しい顔をしていました。なのにここではとても明るい、楽しい顔をしている。彼女自身がホームホスピスでの暮らしを楽しんでいる証拠でしょうね。楽しみながら、医療的な判断が必要な時には彼女はファインプレーを見せますよ。症状を見て的確な判断をして、対処の初動が早められるのです。ここで訪問診療・訪問看護ステーションとの連携がスムーズなのは、彼女に15年の訪問看護の経験があるからだと思います。

最後に、ホームホスピスの立ち上げを考えている方に一言いただけますか?

関根:自分のケアはこれで良かったのか?何かもう少しできたことはなかったか?と、悶々とされている看護師さんもおられるかと思います。ホームホスピスは自分の裁量で動けるのが魅力です。入居者の方と過ごす時間が長く、毎日リアルタイムで様子を感じられ、入居者やその家族を支え、時には自分が支えられることで、わたし自身も成長させてもらえているんだなあと実感できます。大げさですが、“とも暮らし”をしていく中で、自分も家族の一員だなあと感じることができるのはホームホスピスだからこそだと思うんです。ホームホスピスという“もうひとつの家”が増えていくことは社会に大きなプラスになると思うので、やってみたいと考えておられる方はぜひ勉強会に出てみることをおすすめします。