ホームホスピス楪

2024.03.02

東京都小平市、落ち着いた住宅街に建つ小さなマンションの一階にホームホスピス楪(ゆずりは)があります。

代表の嶋﨑叔子さんは、介護福祉士。お母さまを桜町病院聖ヨハネホスピスで看取ったことから、遺族会の立ち上げに参加し、その運営に主体的に関わってこられました。お母さまを看取った時の主治医が、今、ケアタウン小平で診療所を開いている山崎章郎医師。1990年にベストセラーとなった『病院で死ぬということ』で日本の病院信仰に衝撃をあたえ、その後はホスピス病棟、地域に密着した診療所と場所を変えながら一貫して緩和ケアに取り組んでいらっしゃいます。

ホームホスピス楪代表 嶋﨑叔子さん

ケアタウン小平でも週に一回、入浴介助などのボランティアをしてきた嶋﨑さんは、長年のいろいろな関わりを通して、山崎医師のホスピス思想とその展開に大きな影響を受けてこられたのではないでしょうか。

嶋﨑さんにお話をうかがいました。

楪という名前にされたのはどうして?

嶋﨑:ホームホスピスをつくろうと思って家を探していた時に、名前をどうしようかなと思って、いろいろと本を読んでいたら、この名前が出てきて。楪ってお正月の鏡餅の下に敷いてあるあの大きな葉なんだけど、若葉が芽生えてしっかりと伸びてきたら、それを待つように古い葉が落ちるの。だから、枯れた葉と若葉がいっしょに枝についているときもあるんだそうです。「譲る葉」って意味からきたのかな。いのちを繋ぐって意味だから、ホームホスピスに相応しいかなと思って。

家を探すのに苦労されたと聞きました。

嶋﨑:結構、苦労しましたね。東京で宮崎のような「家」を見つけることは、すごく難しい。最初は500坪の敷地の家で、大家さんがとても熱心にホームホスピスの活動に興味を示してくださったけど、ご家族の賛同が得られなかった。次の家は、本当に間取りもよくて、お庭に一本の楪が植わっていて、ここだ!って。その家にお住まいだった方の娘さんが「是非、使ってください」って言われたんだけど、「こういう方がともに住む家」ってお話ししたら、「それは困ります」って。

それで、ホームホスピスの活動や趣旨を一所懸命お話ししたんですが、「すばらしい活動をされているのはよくわかります。でも、私たちは、ここで静かに暮らしています。両親が育ててきたご近所の環境が変わります」って丁重にお断りされて。本当に申し分ない家だったからがっかりしました。

そのあと、ここはどうやって見つけられましたか?

嶋﨑:ネットで見つけたの。「だめだねえ、どうしようか。NPO法人も立ち上げちゃったのに……」と悩みながら、住宅ではなく店舗で調べたんですよ。そうしたら、ここの見取り図が出ていて、あれ?普通の家みたいだねって。

楪は、確かに、ごく普通の住居に見えます。

白い扉を開けて玄関に入ると、正面に置いた素敵なキャビネットの中から小さな人形や住人の笑顔の写真が迎えてくれます。キャビネットや人形は住人にいただいたものだそうです。玄関脇の廊下から奥に進むと右手にリビング、それを囲むようにキッチンと住人の部屋があります。家の中心にリビングがありますから、そこにいると夜でもすべての部屋の気配が感じられます。

各部屋には大きな窓や小さなベランダに面した掃きだし窓があり、何かあればすぐに家の外に出られるように配置してあります。

住人は今、ご高齢のご婦人が4名。要介護度は3から5で、テーブルを囲んで本を読んだり、おしゃべりしたりしている様子はとても家庭的で和やかな雰囲気です。2階は小さな事務所になっています。

嶋﨑:犬猫を飼っちゃいけないとか、大きな音、大きな看板を出しちゃいけないとか、制約もいろいろあったけど、ここに落ち着いたんです。

4階建の小さなマンションは、往年の名歌手・松島詩子さんが所有されていたもので、1階は彼女の住まいと歌の教室だったそうです。1996年に91歳で亡くなられましたが、それまで、小平母の会の初代代表を務めるなど地域に貢献してこられたそうです。

その松島詩子さんの住んでおられたマンションだということが、古くからここに住む地元の方々に好感をもってもらうことにつながりました。内覧会を開いたとき、地域の住人からは、「ああ、あの松島先生のお部屋がこうなったのね」「こんなところがあったら安心ね」という声も聞かれたといいます。

しかし、何より、車で10分ほど走ったところにあるケアタウン小平の存在がものを言いました。楪の周辺には山崎先生が看取られた住人が多く、その信頼が大きかったと言います。

嶋﨑さんはどこでホームホスピスに出会われたのですか?

嶋﨑:おおくまゆきこさんが新聞に書かれた記事を読んだんです。サルのおばあさん、「かあさんの家 曽師」におられた三戸サツヱ先生のことが載っているのを読んで。

その数年前に父を特別養護老人ホームで亡くしたんだけど、そこで見た入所者の様子があんまり寂しかったのよ。私は毎週、父の元に通って食事の介助などしていたんだけど、他の入所者のご家族は誰も来ないようなのね。食事の介助をしていると、みんなの視線が集まってきて。それから、父はもう最期のほうだったからオムツをしていて、それが濡れると気持ち悪いから替えてくれって職員に頼むと、30分待ってくれって。順番がこないと替えてくれないの。事務所に飛んで行って抗議して、それからはもっと注意してケアしてもらえるようになったんだけど、他の方は誰もこないから、変わらない。そんなことでいいのかって。

何とかならないかとずっと考えていたけれど、なんの資格も経験もない私には、何もできないと思っていたんです。でも、記事を読んで、こういう「家」だったら私もできるかもしれないと思って。

今、副理事長をしている犬飼さんに「これ、できないかな」って話したら、「やってみたら」って。自分はできないけれど、手伝えることはするって言われて。「よし、じゃあ、ともかく宮崎に見に行こう」という話になって、「かあさんの家」にお電話したら「どうぞ」って言われてですね。その時、聖ヨハネホスピスの遺族会「さくら会」の代表をされていた、今、NPO法人武蔵野の理事をしていただいている方と3人宮崎に飛んだんです。それが5年前。

行く前に、山崎先生に「ちょっと宮崎に行ってきます」って報告したら、「何しに行くの?」って訊かれて、「かあさんの家を見てきます」って言ったら、「ああ、じゃあ僕、電話しとくね」って。

山崎先生は、実はその前から「かあさんの家」のことを知っておられて、その1年くらい前には宮崎にも行かれて、市原さんのことも知っておられたそうなんです。

実際に見学されてどう思われましたか。

嶋﨑:はじめに市原さんが概略を説明してくださって、そのあと管理者の祐末さんが見学に連れて行ってくださったの。普通のお家でね、みんな和気藹々と暮らしていらっしゃるでしょう。自分で「やる」という前に「東京にもこんな家がほしい」と思いました。

それが11月くらいで、12月に第一回の全国ホームホスピス研修会が熊本であったでしょ。それにも参加させてもらって、そのあと、市原さんたちについていって、「かあさんの家」でボランティアを2週間させてもらったんですよ。

素晴らしい実行力ですね。

嶋﨑:ええ、でもボランティアはさすがに疲れちゃって。でも、「かあさんの家」のスタッフは温かい人が多くて、2週間のあいだに1日、ダウンしてしまったんだけど、その時も、お食事を運んでくださって、いろいろ気遣って声をかけてくださったんですよ。身にしみるような温かさでね、今もその時のスタッフとは交流があるんです。宮崎のお家の畑で採れたお野菜を送ってきてくださったりね。

実際にホームホスピスの中に入ってみた嶋﨑さん。2週間のボランティアが終わって、カバンを手に玄関に立ち、お礼と別れの挨拶をしながら、「私、やっぱりできそうにないです」と思わず弱音が出たそうです。

市原さんは、「あなたならできるわよ。軸がぶれないようにすることよ」と励ましてくれました。「まず倒れないこと。自分の思いをきちんと持って、それを忘れないこと。そして、あきらめないこと」と、後押ししてもらったそうです。

嶋﨑叔子さんは介護福祉士の資格を取得されていますが、ご自身が言われるには、「ほとんど素人が立ち上げた」ホームホスピスです。

宮崎の「かあさんの家」の理事長を務める市原美穂さんも専門職ではありませんが、生活者としての現場感覚は専門のケアギバーよりも確かなもので、それに加え、母として、妻として、娘として、友人としてのしなやかな感性が、住人やその家族、スタッフ、またホームホスピスの仲間を大きく包み込んでいます。

ですから、「あなたならできるわよ。但し、軸がぶれないようにすることよ」という市原さんの励ましの言葉は、嶋﨑さんが大きく因って立つところです。


とも暮らしの住人

住人各部屋の日当たり、風通しに工夫があり、住人それぞれが持ってこられた家具や調度が、居心地の良い、安心できる空間を作り上げています。訪問したのは秋のさなか。さりげなく季節の花を生けてあったり、ベランダに干し柿がつるしてあったりするのは、住人のご家族のこころづかいだとか。居ながらにして、季節の深まりを感じることができるやさしい配慮が見えます。

ホームホスピスは「とも暮らし」の家です。認知症の高齢者や重篤な病など難しい条件が重なり落ち着く場所を探している人、一人暮らしが不安な高齢者など5、6人が、一軒の家で、ともに暮らします。そこに外部から介護・医療のケアが入り、家族に代わってサービスを提供するというのが基本的なホームホスピスのスタイルです。また、そこにスタッフも含めて、疑似家族的な構成ができることも特長の一つとしてあげられます。

介護の現場で経験の浅い嶋﨑さんは、キャリアを積んできたスタッフと意見が合わずに悩むこともあるといいます。

「待つ/任せる/見守る」はホームホスピスのケアの重点です。「本人の潜在能力を見極め、適切に支える」という基準は、非常に高い専門性が求められることにもなりますが、ベテランの介護士の場合はかえって、その辺りが難しいこともあるようです。

その一因として、従来の介護の現場では、まず効率性が求められることがあげられます。さらに、ホームホスピスでは住人の人数が少ない分、ケアする側はどうしても手を出して助けたくなりがちです。

例えば、住人の日常会話に心の動きを垣間見る、それを語り合う、その人の思いを推し量ることを大切にする、スタッフにそうした気づきを求める嶋﨑さんと、気持ちは十分にあっても、住人の安全やケアの合理性に力点を置いて効率的なケアを優先したいスタッフとの考え方の違いをどうすればいいかなど、理事たちもともに考えます。


都会のコミュニティ

地域活動についてはどうでしょう。

ホームホスピスは高齢者や病気の人がとも暮らしをする「家」ですが、単に「家」というだけでなく、社会活動として地域づくりへの関わりを大切にしています。具体的には、医療・介護・福祉関係者や行政、教育機関との連携、地域交流サロンや相談室の開設、またホスピスの啓発活動として講演会や出前講座の開催など、コミュニティに働きかけていくことです。

しかし、地域によっては、そうした働きかけを嫌うところもあります。

とくに都市の場合は、静かな暮らしを乱して欲しくない、余計な波風を立てないでほしいという意識から、嶋﨑さんが家を探していたときのように、活動の趣旨を理解はしてもなかなか受け入れられないこともあります。

「いまはともかく静かにこの街に溶け込んでいく」と言う嶋﨑さんは、町内会会員になって町内の清掃などにも積極的に参加しながら、ゆっくりと市民権を得ようとしています。

(取材日:2016.11.1 / 11.3)